私たちの住む野津田のヒストリー🧐🗺️⁉️
天和2年8月19日とされている資料。
これは何だと思いますか?『野津田村絵図』です。

いかがですか?この絵図の中に、今ご自分が住まわれている場所が、探せそうですか?
この絵図をはじめ、多くの資料を保存研究されている【町田市立自由民権資料館】を訪ね、学芸員の松崎稔先生からお話しをお伺いいたしました。
松崎先生は、数多くの論文を書かれておりますが、『地域史研究の今日的課題 中央大学出版』には、野津田町内会初代会長・石阪昌孝氏に関する事柄の記述がありました。気骨のある人物像であったことや、特に≪篤実徳義(篤実とは、情があつく、誠実なこと、徳義とは、道徳上の義務・義理)p156≫という言葉を発している文章は、野津田町内会の真に存在する精神なのかもしれないと論文を拝読いたしました。
松崎先生のご研究は、これから先も野津田町になくてはならない存在だと、そして、もっとお話しをお聞きしたい、と感じました。

(写真は、館内で閲覧できる著書の一部です。)
町内にある公的な施設ではあるものの、なかなか足を運んだことが無い方が多いのではないでしょうか。
館内には、自由民権運動の歴史をはじめ、町田市内で出土した土器や古銭などの展示が多数あり、展示以外に15万点もの資料が有るとの事です。
歴史を遡ることが出来る資料の数々、また、近代史に出てくる出来事の資料、また、取材時期には、≪回せ、地域経済(2024年12月8日まで)≫を開催中でしたので、野津田、小野路の質屋、銀行についての資料が展示されていました。


この地域が経済の一端を担っていたことが展示から読み取れました。
会員の方々は、野津田公民館に、歴代の町内会会長の写真をご覧になった事が有るかと思います。



松崎先生の書かれた文章に下記の文章があります。
明治四年一月一五日、勧農を目的に小野路村に回村してきた神奈川県小参事大屋斧二郎ら県吏が、郷学校の設立を説愉した。小野路村組合では、これを受け五日後の二〇日に会合を開いて拱義同盟を結び、郷学校設立に向け動き出した。この拱義同盟が小野郷学の運営母体となるが、メンバーには、小島為政、石阪昌孝(中略)ら各村の指導者層が名を連ねている。1月28日には、
華厳院で開校、二月五日には授業を開始している。
(多摩のあゆみ第125号)p45≫

松崎先生の写る写真の横には、〖学びの制度化〗とされる展示がありました。
今、住まわれているこの地域の歴史を再認識するには、一度訪れることも良いのではないでしょうか。
アクセスは、袋橋バス停(芝溝街道で、鶴川駅方向に向かって)目の前です。 春には桜、秋には赤い葉が舞い散り、館内に上るには、階段、或いは坂道、更にはエレベーターも設置されています。 自分の今の家は、この絵図のどの辺りなのかを発見することも、何かまた違ったモノの見方に通じるかもしれませんね。 見学はご自由に。料金は無料です。
